愛媛県西条市で、ベンツやBMW、アウディ、ポルシェ、ジープといった、品質にこだわった輸入車を全国から集めて、展示販売してるんだよ。
お客様から「ここで買って良かった!」って言ってもらえるようになった今日この頃、輸入車専門店としての成長を感じているんだ。それもすべてはお客様のおかげさ。
地元の皆さんからの要望に応える形で、最近では軽バンなんかの商用車も展示販売してるんだ。
でもね、今は店舗の経営も安定していて、充実した日々を過ごしてるけど、過去の僕の人生はホント、最悪だったんだよ。(泣)
ジェットコースターに乗ってるかのようなアップダウンの連続で、なんと路上生活まで体験したんだからね。信じられないかもしれないけど、それが僕の人生なんだよ。
ミラノオート野田拓志の悲惨な人生!
どうも、拓ちゃんだよ!
クルマが好きでたまらなくてさ、若干20歳の時に自分の道を切り開いたんだ。過去の失敗から色々と学んで、同じ過ちを二度と繰り返さないように、この自己紹介文を書くことにしたんだ。自分自身に向けた戒めのようなものさ。それじゃ、これからもよろしく頼むよ!
バブル時代の中古車ビジネス成功ストーリー
僕が独立した当初はさ、昭和から平成に変わる頃で、みんなが「バブル経済」って言ってた時期だったんだ。あの頃はまさに好景気。手間ひまかけなくてもクルマが売れちゃうんだからさ。「並べておけば売れる」そんな時代だった。数百万、いや数千万って値段の高級車が、並べると同時に次々と売れてったんだ。
「どれだけ仕入れてもすぐに売れちゃう」って感じでさ、お金がどんどん入ってきて、夜は街で豪遊する日々だったよ。
事業も順調に成長して、最終的には中古車の海外輸出まで手がけるようになったんだ。海外輸出も大当たりで、年商は何と数十億円まで伸びてさ。中古車を海外に輸出する会社として、世界中の顧客に対して急速に成長していったんだ。
国産車だけじゃなくて、ベンツやBMW、アウディ、ワーゲンなんかの欧州車も積極的に扱って、ニュージーランド、ロシア、カナダ、アイルランド、キプロス、ケニア、ウガンダ、タンザニアなんかの30か国以上に中古車を輸出するようになったんだ。
その後も貿易業務はどんどん成長して、月に300台以上のクルマを輸出するようになったし、従業員も30人以上になったんだ。そう、大きな会社を経営するまでに成長したんだよ。
怖いもの知らずの天狗!
その当時の僕は、全てを手に入れたと思い込んでいたんだ。「怖いものなんて何もない!」とか、「もう人生勝った!」って言い放つほど自信に満ち溢れてた。自分は一番偉い、金で手に入らないものはない、思うように稼げる…そう思ってたんだ。
それに呑まれて、贅沢三昧の生活を送っていたんだよ。自分だけの豪邸を建て、高級車を乗り回し、ブランド物を買いあさり、高級レストランで外食も毎日のように。ファーストクラスの飛行機で海外旅行に行くなんて当たり前。お金を湯水のように使ってたんだ。
でもね、その全てはただの「ビギナーズラック」だったんだよ。ギャンブルでいうところの初心者の運だったんだ…。
保証人問題であえなく奈落の底へと転落
そんな夢みたいな日々も長くは続かなくてさ、一瞬で人生のどん底に突き落とされたんだ。もう完全に人生が一変したって感じだよ。
30代の頃さ、破産管財人の弁護士から手紙が届いたんだ。その内容は、僕が保証人になっていた友人が自己破産し、僕が数億円の借金を背負わなきゃならないっていうものだったんだよ。
その時はびっくりと絶望が僕を襲ったよ。友人が自己破産するなんて、まさかと思ったよ。「全ての財産を失った」って感じさ。その瞬間、身体が床に崩れ落ちてしまったんだ。頭の中は真っ白になって、自殺も考えたよ。人を信用できなくなって、信頼の失墜にすごく苦しんだんだ。
自宅を売り払って、全財産を投じたけど、数億円の借金は残ったままだったんだよね。
子供と公園の水を飲んで飢えをしのいだんだ!
学費も払えなくて、最愛の一人娘が学校を辞めなきゃいけなくなったんだ。それって、本当に情けなくて、頭を下げっぱなしの日々だったよ。
家も失っちゃって、家族と一緒にどこにも行く場所がなくなったんだ。それが僕たちの「路上生活」の始まりさ。
「お腹すいたよ」と言う娘の声に応えられず、公園の水を飲んで空腹を凌いでたんだ。親子で一つの菓子パンを分け合って食べたこともあるよ。毎日、やる気もなく床にうずくまってるだけの日々だった。それって、本当につらい状況だったんだよ。
絶望的な僕を助けてくれたのは仲間
親友だと信じて疑わなかった人の連帯保証人になったんだ。それで数億円もの借金を背負うハメになっちゃったんだよ。でもね、そんな僕たち家族を、かつての仲間たちが手を差し伸べてくれたんだ。
輸出する車を見つけてきてくれたり、新たなお客さんを紹介してくれたり、銀行を紹介して毎月の返済を減らしてくれたり。そうやって、仲間たちからの無数のサポートと助けがあったおかげで、僕たちは何とか生きていけたんだ。
中古車の輸出を一生懸命に続けながら、少しずつ借金を返していったよ。そして、ようやく10年かかって全ての借金を返すことができたんだ。そんな経験があるからこそ、今の僕があるってわけさ。
プロフェッショナルな輸入車販売店を経営する
僕の夢はね、お客様と直接対話して、その人たちが喜んでくれる仕事をすることだったんだ。具体的には、地元の人たちに愛される、小さな輸入車販売店を経営することなんだ。
そしてね、10年かけて借金を完済した後、初めてフェラーリディーノを見た時のあの衝撃、初めてBMWを手にした時のあの喜び、そんな感動を、実際にハンドルを握るお客様と一緒に味わいたいって思ったんだ。お客様と直接関わりながら、彼らが喜んでくれる仕事、それを僕の人生の最後の仕事にしようと心に決めたんだ。
借金を完済した後、輸出業を拡大することもできたかもしれないけど、僕はね、大手の貿易会社になるより、お客様の車が故障した時に自分の手で引き取りに行ったり、顔を合わせて直接対応することに情熱を感じてたんだ。そんな思いを胸に、僕は輸出業を辞めて故郷の愛媛に戻る決断をしたんだよ。
そして、長年続けてきた海外輸出業をやめることを決めて、これまで海外輸出を支えてくれた世界中のバイヤーに感謝の気持ちをしっかりと伝えたんだ。1年間の話し合いの末に、30年続けた海外輸出に終止符を打ったんだ。
夢の車、リーズナブルに手に入れよう!
今、僕が運営しているのは、学生の頃からずっと夢見ていた輸入車販売店、「ミラノオートサービス」。店舗は愛媛県西条市にあるんだ。
何万台もの車を手にした経験を生かし、ほんとうに良い輸入車を仕入れて展示販売しているんだ。一台一台に思いを込めて仕入れて、整備して納車しているよ。何よりも、お客さまが笑顔になってくれることが僕の一番の願いだからね。
それが叶う今、毎日は忙しいけど、本当に充実した日々を過ごしているよ。お店も工夫していて、自分の貸家を利用しているから家賃はかからないし、人件費も家族だけでまかなっているから、無駄な経費は一切ないんだ。だから、その分を車の購入価格に反映させたり、質の良い車を提供できるようにお客様に還元しているよ。それが僕のやり方なんだ。
人生の最終章に挑戦!
僕が一番大切にしているのは「妥協しない買い付け」だよ。長い間車の仕入れをやってきた経験があるからこそ、それができるんだ。それこそが真髄さ。お客さんが車を受け取るときに、心から「ありがとう!」って言ってくれるような輸入車販売店をやりたいんだよね。
「こんなにまでやるの?」ってびっくりするくらい、車は徹底的に整備して納車するんだ。それが僕らのスタンスさ。
何十年も自動車に関わってきたけど、今はお客さんの顔が見える小さな商売ができて、それには本当に感謝してるんだ。それを家族でやってるミラノオートサービス、これが僕の誇りなんだ。
信じられないくらい人を信用し、騙されたこともある。でも、最終的には信用した仲間たちに助けられたんだ。だから、「やっぱり人を信用してきて良かった!」と今では心からそう思ってるんだよ。
最後まで読んでくれて、本当にありがとな
ここまで付き合ってくれて心から感謝してるよ。これからもミラノオートをよろしく頼むよ。それじゃ、またの機会に会えることを楽しみにしてるぜ。これからも一緒に頑張ろうぜ!
ミラノオートサービス株式会社、野田拓志
※追伸
さてさて、これから人生の終盤に向かっていくんだけど、やりたいことがまだまだ山ほどあるんだよ。まずは、さらにお客様に喜んでもらえるような、一風変わった輸入車を見つけてくること。それから、もう一つは、もっと若い世代に車の魅力を伝える活動をしていくことだね。新しい技術が進んで、自動運転とか電気自動車とかが主流になりつつあるけど、自分でハンドルを握り、エンジンの音を感じる楽しさ、そういった古き良きカーライフを若い人たちに伝えていきたいんだ。それと、地元の愛媛で輸入車のイベントやフェスティバルを開催することも考えているんだ。地元の人たちが輸入車の魅力をもっと知ってもらえるような、そんな楽しいイベントを企画していきたいと思っているよ。今後の僕の活動、期待していてくれよな!